私:Ph.D.をとるためアメリカに来て、今はポスドク中。 彼:元コミットメントフォービックなアメリカ人医師兼研究者。週一でクリニックをしながらポスドク中。


by hamakkoinmidwest

ラジウムガールズ

***追記 2014年6月***
私のこのエントリーが放射能を過度に怖れる方々に利用されているようですが、この話は今から100年くらい前の話です。今は、ラジウム塗料くらいの放射能があるものはそう簡単に見過ごされる世の中ではありません。今の時代、密告なんて簡単なもので、酷いことが実際にあればインターネットで世界中に広まるので、このような隠蔽が出来るわけありません。この話は興味深い話として翻訳しただけなので、微量の放射能による健康被害の不安を煽るのに使わないで頂きたいです。
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世田谷で検出された放射線の原因は床下に貯蔵されてた、ラジウムかもしれない放射性物質?だったそうですね(もはやニュースを信じない人も多数なようですが...)

ラジウムといえばマリー・キュリー*ですが、最近まで知らなかった「ラジウムガールズ」という話が興味深かったので要約します。

(*科学者を目指す少女として私は大ファンだったので、伝記を3本くらい持ってました。しかし今思い出してみるとキュリー「夫人」って。当時女性研究者は稀だったからでしょうね)

以下、このポッドキャストからと、日本語ウィキペディアには載っていないので、英語のウィキペディアから引用します。

20世紀の始めごろ、低レベルの放射能は万能の治療だという嘘が出回り、水や化粧品、歯磨き粉、コンドーム(!)などに放射性ラジウムが混ぜられていたそうです。

一例はRadithorという名前で売られていたラジウム入りの「若返り水」。37,000Bqも入ってたそうです。ちなみに、Eben Byersというお金持ちのアスリートは、1400ボトル(=51,800,000Bq)も飲んだ結果、アゴの骨がなくなり、頭蓋骨にも一部穴があき、脳腫瘍ができていて、51歳にして急性ラジウム中毒で亡くなったそうです。

さて、ラジウムガールズですが、1917から、ラジウムが暗いところで光る性質を利用してラジウム入りの塗料"Undark"を兵士の時計用に使っていたUS Radium Corp.という会社がありました。その工場では、70人ほどの女性労働者達が放射性ラジウムの粉末と糊をまぜて塗料を作り、一つ一つ塗料を時計に塗る作業をしていました。上司達はラジウムの危険を知っていたので、自分たちはラジウムの接触は避けていたにも関わらず、塗料を塗る筆の先がすぐ鈍ってしまうため、口で筆の先を整えるように指示。「飲み込んじゃっても大丈夫。少しくらいのラジウムはほほをバラ色にするよ」とも言ったとか。放射能の危険を知らなかった若い女性労働者達は、爪や歯に塗って遊んだりしていました。
筆を唇で整えることはもとより、塗料を混ぜる時にラジウムの粉末を吸い込んだり、自分に塗って遊んだりしていた女性達は放射性ラジウムを大量に摂取してしまったのです(この会社以外にもラジウムを扱っていた会社はあり、直接ラジウム塗料に関わっていた労働者数は4000人ほどに達するそうです)。

1920年に工場で働くのを辞めたフライヤーは、1922年に顎に大きな膿瘍があることに気づき、医者に行きます。
当時の医療現場ではそのような例は前代未聞で、理由がやっと分かったのは1925年のことでした。

それとは別に、ナショナルコンシューマーズリーグは1922−1924年に亡くなった4人の労働者の死因を不審に思い、調査を進めていました。
この調査結果を知ったUS Radiumは、あらゆる手を使って隠蔽しようとします。

日々衰えて行くフライヤーはUS Radiumを訴えようと、弁護士を探しましたが、やっと弁護士が見つかったのは1927年のことでした。そしてすぐに元の職場仲間の女性4人がフライヤーと供に訴訟に加わりました。彼女たち5人が「ラジウムガールズ」とよばれます。

彼女達は一人$250,000の賠償金を請求し、亡くなった姉妹(ともに元US Radium労働者)の骨から大量の放射能が検出された結果などを提出しましたが、会社側は内科医の資格のないえせ医師を雇い、彼女らの診断をさせウソの診断(梅毒だとか)を提出したり、とにかく裁判が長引くように手回ししました。ラジウムガールズはもうその時ろくに歩けず、手も挙げられなくなっており、弁護士はそんなに延期したら彼女達が死んでしまうと訴えました。

このニュースを知ったマリー・キュリーはショックを受け、「彼女達には希望はない」とコメントしたそうです(彼女自身も長年にわたる被ばくにより1934年に亡くなりました)。

新聞はニュースを広めるのに貢献し、事態を知って憤った大衆が裁判所にプレッシャーをかけ、やっと裁判が早まることになりましたが、死にかけていた彼女達は1928年に一人$10,000と医療費を受け取って和解することにし、1929年には最初の一人が34歳で亡くなり、1937年までに一人を除き全員が30代で亡くなりました。生き残った一人も、1946年に51歳で亡くなりました。

その後の調査で、調べた労働者2403人中ラジウム被ばくのレベルが通常の1000倍以下だった人には症状が出なかったことがわかり、一定レベル以上の被ばくで健康に影響が出ることがわかりました。

ラジウム入り塗料はその後も1960年まで使用されたそうです。
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by hamakkoinmidwest | 2011-10-14 01:19