生物学者のアメリカ暮らし。

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ドライバーズライセンス更新

この間名前を変えるのにドライバーズライセンスを変えたばかりだというのに、元のライセンスの有効期限がH1bビザの期限とリンクしていたので、そろそろ免許証の期限が切れるというお知らせが来てしまいました。

ドライバーズライセンスの更新は、アメリカ国民であればその場で新しい免許が貰えるのですが、外国人の場合セキュリティーチェックが厳しいので仮のプリントアウトを貰い、2ヶ月経っても郵便で届かない場合は連絡するようにと言われます。
そして視力検査と道路標識の簡単なテスト。視力が(さらに)落ちて来ているので視力検査が怪しかったのですが、難なく突破。何%正解だったらパスなんだろうかと少々疑問ですが。。。
料金$20を支払い、その場でデジタル写真を撮られ、仮の紙を貰っておしまいです。

免許の更新自体には、出生を証明するもの(外国人はパスポート)、ビザ/グリーンカード、ビザ関連の書類、住所を証明するもの(ペイチェック、電気代やガス代などのビル;今やどれもオンラインなので郵便で来るものがないので、オンラインビルのプリントアウト等)が必要。
H1bビザの時更新した時にうっかり雇用主からの雇用を証明するレターの日付が古いのを持って行ってしまい受け付けてもらえなかったことがあります。

今回はグリーンカード持参にての更新だったので、パスポートすら見せる必要がなく(まだ旧姓を直してないので念のためマリッジサティフィケートまで持って行きましたがそれも当然不要)、住所も変わってないですかと聞かれただけ。

婚姻によるグリーンカードの最初は2年ものなので、ドライバーズライセンスもその日付までしか有効じゃないんでしょうが、新しいライセンスが来るまでにどれくらいかかるかが疑問です。前回は1ヶ月くらいかかった気が。
また2年弱で更新、と面倒です。

***訂正***
今年からうちの州はアメリカ国民でも仮の紙を受け取り、郵便で送られてくるのを待つようになったそうです。いい気味、とか思ったりして。

***追記***
結局19日後に届きました!しかも今回は6年ものが貰えました。わーい。
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by hamakkoinmidwest | 2013-02-05 12:32

ラジウムガールズ

***追記 2014年6月***
私のこのエントリーが放射能を過度に怖れる方々に利用されているようですが、この話は今から100年くらい前の話です。今は、ラジウム塗料くらいの放射能があるものはそう簡単に見過ごされる世の中ではありません。今の時代、密告なんて簡単なもので、酷いことが実際にあればインターネットで世界中に広まるので、このような隠蔽が出来るわけありません。この話は興味深い話として翻訳しただけなので、微量の放射能による健康被害の不安を煽るのに使わないで頂きたいです。
*************

世田谷で検出された放射線の原因は床下に貯蔵されてた、ラジウムかもしれない放射性物質?だったそうですね(もはやニュースを信じない人も多数なようですが...)

ラジウムといえばマリー・キュリー*ですが、最近まで知らなかった「ラジウムガールズ」という話が興味深かったので要約します。

(*科学者を目指す少女として私は大ファンだったので、伝記を3本くらい持ってました。しかし今思い出してみるとキュリー「夫人」って。当時女性研究者は稀だったからでしょうね)

以下、このポッドキャストからと、日本語ウィキペディアには載っていないので、英語のウィキペディアから引用します。

20世紀の始めごろ、低レベルの放射能は万能の治療だという嘘が出回り、水や化粧品、歯磨き粉、コンドーム(!)などに放射性ラジウムが混ぜられていたそうです。

一例はRadithorという名前で売られていたラジウム入りの「若返り水」。37,000Bqも入ってたそうです。ちなみに、Eben Byersというお金持ちのアスリートは、1400ボトル(=51,800,000Bq)も飲んだ結果、アゴの骨がなくなり、頭蓋骨にも一部穴があき、脳腫瘍ができていて、51歳にして急性ラジウム中毒で亡くなったそうです。

さて、ラジウムガールズですが、1917から、ラジウムが暗いところで光る性質を利用してラジウム入りの塗料"Undark"を兵士の時計用に使っていたUS Radium Corp.という会社がありました。その工場では、70人ほどの女性労働者達が放射性ラジウムの粉末と糊をまぜて塗料を作り、一つ一つ塗料を時計に塗る作業をしていました。上司達はラジウムの危険を知っていたので、自分たちはラジウムの接触は避けていたにも関わらず、塗料を塗る筆の先がすぐ鈍ってしまうため、口で筆の先を整えるように指示。「飲み込んじゃっても大丈夫。少しくらいのラジウムはほほをバラ色にするよ」とも言ったとか。放射能の危険を知らなかった若い女性労働者達は、爪や歯に塗って遊んだりしていました。
筆を唇で整えることはもとより、塗料を混ぜる時にラジウムの粉末を吸い込んだり、自分に塗って遊んだりしていた女性達は放射性ラジウムを大量に摂取してしまったのです(この会社以外にもラジウムを扱っていた会社はあり、直接ラジウム塗料に関わっていた労働者数は4000人ほどに達するそうです)。

1920年に工場で働くのを辞めたフライヤーは、1922年に顎に大きな膿瘍があることに気づき、医者に行きます。
当時の医療現場ではそのような例は前代未聞で、理由がやっと分かったのは1925年のことでした。

それとは別に、ナショナルコンシューマーズリーグは1922−1924年に亡くなった4人の労働者の死因を不審に思い、調査を進めていました。
この調査結果を知ったUS Radiumは、あらゆる手を使って隠蔽しようとします。

日々衰えて行くフライヤーはUS Radiumを訴えようと、弁護士を探しましたが、やっと弁護士が見つかったのは1927年のことでした。そしてすぐに元の職場仲間の女性4人がフライヤーと供に訴訟に加わりました。彼女たち5人が「ラジウムガールズ」とよばれます。

彼女達は一人$250,000の賠償金を請求し、亡くなった姉妹(ともに元US Radium労働者)の骨から大量の放射能が検出された結果などを提出しましたが、会社側は内科医の資格のないえせ医師を雇い、彼女らの診断をさせウソの診断(梅毒だとか)を提出したり、とにかく裁判が長引くように手回ししました。ラジウムガールズはもうその時ろくに歩けず、手も挙げられなくなっており、弁護士はそんなに延期したら彼女達が死んでしまうと訴えました。

このニュースを知ったマリー・キュリーはショックを受け、「彼女達には希望はない」とコメントしたそうです(彼女自身も長年にわたる被ばくにより1934年に亡くなりました)。

新聞はニュースを広めるのに貢献し、事態を知って憤った大衆が裁判所にプレッシャーをかけ、やっと裁判が早まることになりましたが、死にかけていた彼女達は1928年に一人$10,000と医療費を受け取って和解することにし、1929年には最初の一人が34歳で亡くなり、1937年までに一人を除き全員が30代で亡くなりました。生き残った一人も、1946年に51歳で亡くなりました。

その後の調査で、調べた労働者2403人中ラジウム被ばくのレベルが通常の1000倍以下だった人には症状が出なかったことがわかり、一定レベル以上の被ばくで健康に影響が出ることがわかりました。

ラジウム入り塗料はその後も1960年まで使用されたそうです。
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by hamakkoinmidwest | 2011-10-14 01:19

彼パパ、手術成功


前回の続きです。

結局、彼パパの診断を彼の姉が詳しく聞きに行ったところ、やっぱり手術は必要かもしれない、と皆納得したので(例の「血液が流れ込んでいる」発言の謎も解けました)、手術が予定通り行われることになりました。
昨日麻酔から覚めた彼パパとちょっとだけ話をできた彼は、とりあえず安心していました。
大手術だったのに今日退院できるそうです。

ふー。しばらくちょっと心配ですが、術後順調に回復してくれることを願います。
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by hamakkoinmidwest | 2011-09-22 00:26

彼パパ、緊急手術!?

昨日彼ママから彼に電話があり、お父さんが緊急手術が必要かもしれないとのこと。
彼パパは昨年の今頃脳の手術をして、順調に回復していたのですが、それに関係あるのかと聞いたらちょっと違う問題で、火曜日に手術だ!と言う話でしたが、よくよく聞いてみると、彼には腑に落ちないことがありました。
術後の定期検査でエコーをして、それによると前からあって要注意だったものに血液が流れ込んでいる、という話で、必要だという緊急手術は危険が伴うため、普通は自覚症状がないと行わないのだそうですが、彼パパは何も症状がないとのこと。

彼のご両親の二件隣に住んでいる彼の姉&彼の義兄は両方医者なのですが、彼らも腑に落ちない、と言っていました。
そこで、その分野が専門である(最近のポストでおなじみの)友人Lに彼が聞いてみると、Lもその「血液が流れ込んでいる」発言は医学的におかしいと言います。
彼パパの行く病院にはその専門分野がなく、一人の循環器外科医(体育会系だし...)が言うことを信じるのもちょっと、しかも医者が4人も集まってこれですから。
それに、Colonelだった彼パパは非常にいい保険があるため、普段から不要な検査や手術を薦められがちなのです。
結局、彼の姉が着いて行き納得いくまで話を聞くことになりました。

彼パパは30代後半で結婚し、彼が末っ子なので、結構お年なのです。心配だなぁ。
家族が無事に結婚式に出席できれば、細かいことはどうでもよくなってきました。
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by hamakkoinmidwest | 2011-09-16 00:47

こんなときあなたならどうする?

先日のL一家とのミニバケーションにて。

友人Lとロッククライミングが趣味のKと彼が「敢えて危険なことをする」話をしている時、2006年に起こったあるニュースに話題が移りました。

サンクスギビング休暇をシアトルで過ごした家族が、車でサンフランシスコに戻る途中、スノーストームに遭って車に数日閉じ込められ、このままでは家族全員餓死すると思った父親が軽装で助けを求めに歩き、妻と子供2人は見つかり無事に救出されるが、後で凍死している父親が発見されたという悲劇です。

亡くなったKimさんについてのWikipediaページ(英語)はこちら。

友人Kと私の彼では受け止め方が全く違い、長々と議論してました(二日にわたっていた気がする)。

まず、両方とも道路状況が悪い場合は最初から運転を諦めるということには同意。

でも、Kはこの父親に同情しないと言い、私の彼は自分がその状況に置かれたら同じ事をすると思う、と言います。

K:生のびるチャンスがあるなら車に残って助けが来るのを待つ。いや、まず雪があるなら雪で防寒ドーム作るね。
彼:でも5日間誰にも発見されなくて、食べ物が尽きて、タイヤ燃やしても誰にも見つからなかったのにそのまま車でじっとしてるか??
K:でもちゃんとした防寒手段もなく雪の中を歩くなんて自殺行為だ。タイヤを燃やしちゃったのも良くない。
彼:他に手段がなければそうするしかないじゃないか

等々....

結局、Lの妻が
「自分だったらLを食べるな!脂のってるし♪」
「じゃあ(私の)彼も脂のってていいかも。」
「でも歳とってるから味がgameyかも。」
と皆でジョークを飛ばすことにて終わりました。(- -;

(亡くなったKimさんとそのご家族には、心よりお悔やみ申し上げます。)
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by hamakkoinmidwest | 2011-08-02 07:11

Yes.

ええと、こうもタイムリーに書くと身元がばれてしまうかもしれないのですが、ぶっちゃけもう気にしないので書きます(笑

先月から、彼が週末にハイキングに行きたいと言っていたのですが、あいにく天気の悪い週末続きでなかなかハイキングに行けずに4月が終わろうとしていました。

そしてやっと晴れ間がのぞいた週末。午後から雨の可能性があったので、彼が「明日は8時に起きて、ハイキングに行くよ!」と宣言。
医者のくせに朝にとても弱い彼ですが、その日は8時にむくっと起きて(いつも起きてから実際にベッドから出るまでものすごく時間がかかる人なのですが)準備し出しました。

珍しい、と思いつつ、何年も前に一緒に行ったことのあるステートパークへ向かいました。

新緑真っ盛りで気温もそれほど高くなく、気持ちいい!

ハイキングコースの途中、ここが一番気に入っている場所なんだ、と行って奥の方に行ってしまった彼をそのままにして私は写真を撮っていたのですが、こっちに来てよと言われ行ってみると、ブランケットが敷いてあって、バラの花束とシャンパンボトルがあるではないですか。



これは





まさか






待ちに待ったあれでは...っ





彼は見慣れた木箱を持っていました。何年も前に、一緒にバケーション中に買ったものでした。
「この箱を見た時に、指輪を入れるのに使おうと思って買ったんだ」って。

その中には、指輪が。

私は何にも全然気づいてなかったので、ビックリ作戦大成功です。(←鈍)

彼曰く、1年前からプロポーズしたかったけど指輪を買うお金が足りなくて、お父さんに相談を持ちかけたところ、資金援助はしてくれなかったので、一年間コツコツ貯めて買ったんだそう。
その後ホストマザーのダイヤモンドや私の祖母のダイヤモンドを見たけれど、ここまで待たせたんだからもっと大きいのにしたかった、のだそうです。(^ ^;

指輪のサイズも知らないのにどうしたのかと思ったら、私も仲の良い友達2人からのアドバイスで、「仮」の指輪を作っておき、プロポーズ後に私の好きなデザインとちゃんとしたサイズにするという作戦に落ち着いたとか。
確かにちょっと緩いのとクラシック立爪でゴム手袋が裂けそうなので(今日仕事ではめてて大丈夫でしたけどね)近いうちにその「何カ所も回って小さくて職人気質な宝石屋さんを見つけた」という宝石屋さんに戻って「本」指輪にしてもらう予定です。

それから、事前に彼が父に電話していたことが判明。
親もビックリ作戦に参加していたとは。

彼に電話で「長いこと待ってました。」と言ったらしい私の父。それを聞いたらおかしくて、なぜか涙が出てきました。
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by hamakkoinmidwest | 2011-05-03 03:52

最近の諸々

しばらくブログ放置してしまいました。

くだらない私事を書く気がしなかったのと、あまり何も起こっていなかったのと、珍しくボスが私のプロジェクトに興味を持っていた期間があったので詰めて仕事してたのです(普段はことごとく放置されています)。

前のエントリー以来、私達と同じくらい長く付き合っていて同棲期間も私たちより長い友達カップルがとうとう婚約しました!
そのカップルと、乳児のいる友達夫婦と3カップルで定期的におうちディナーをしているので、次は私たち、とプレッシャーをかけてもらいました(笑

その最近婚約した友達は、多数の結婚式に出席して「この半分は破綻に終わるのね」とか思ってしまう超現実的な人で、結婚はするとは思っていたけどやはり慎重に決めたかったそう。
同棲期間が長い為、必需品もそろっているので、ウェディングレジストリーをどうしよう、とか、私にも参考になることが話題に上りました。

こうやってこの街にまだ残っている友達もいますが、多数は違う州(あるいは国)へ引っ越してしまいます。
今月末にも、彼と私の共通の仲の良い友達が引っ越してしまうことに。車で行けなくないところなのでまだましですが、毎週末のように飲んだりした仲なのでやっぱり寂しいです。
その友達も付き合っている彼との結婚をつっついている所。その彼もコミットメントフォービックなので、引っ越し→同棲についてもちょっと揉めたそうですが、私たちの例を見ているので大丈夫だったそうです(誰かの役に立ってよかった)。

------
話は変わって。

「機会」という言葉を使うのも憚られますが、今の日本の現状は、エネルギー問題を根から見直す機会、新エネルギー産業を大々的に取り入れる機会かもしれません。

私が一番注目しているのはMITのダニエル・ノセラ教授らによって研究されている「人工光合成」による発電。今までのソーラーパネルと違うところは、身近な材料を使うことによりコストが大々的にカットされたこと。「人工光合成」と呼ぶのは、水の分子を水素と酸素に分ける時に出るエネルギーを電流に変えるというのが光合成の原理と一緒だからです。

私はノセラ教授の講演を2回聞く機会があり(エンジニアをゴキブリと呼んだのにはビックリでしたけどね(笑))、一回目に聞いたのは3年くらい前のことだったので、そろそろ実現化が近いのではないかと密かに期待していたのですが、最近ラジオで聞いたインタビューによるとあと8年くらいかかりそうとのことです。むー。
そして、この技術は電気を一カ所で大量に生産して周辺地域に届けるのではなく、建物ごとの「自家発電」型。なので、今のところ既に電気系統の整った先進国ではなく、まだ電気の通ってないような国で開発しようという試みだそうです。だから今すぐ日本に、っていうのは少々厳しいかもしれませんね。
私の関わる新(植物の可食部を使わない)バイオ燃料系も、実現化には将来的にまだまだかなりの試練がありそうです。

ただし、放射線汚染に関しては、植物によって放射線物質を濃縮する方法が使えるのではないかと思っています。
その植物が燃料に変えられればますます良いんですけどね。放射線で汚染された植物でもメタンガス発電くらいには使えないかなと。
少しでも助けになることができれば、と思うのですが、結局寄付くらいしかできないのが現状です...。さい
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by hamakkoinmidwest | 2011-04-26 04:33

東北地方太平洋沖地震

地震発生時、私はもうインターネットから離れていて、何が起きていたのか全く知らずに朝起きてから知りました。
寝る前に知っていたら心配で眠れなかったでしょう。

私が起きる前に、父と親友が「地震すごいけどこちらは無事です」というメッセージを入れていてくれたので、ニュースの恐ろしいヘッドラインを見て焦って連絡をとろうとしなくて良かったのは幸いでした。
こちらのニュースもどこも未だトップニュースが日本の地震です。

その日はものすごい数の人から家族は大丈夫かと聞かれました。彼のところにも、私の家族の安否を気遣った人たちからの問い合わせで電話が鳴りまくっていたそうです。

以来インターネットに釘付けになっていても何もしてあげられないので、せめて義援金を送りました。

日本の義援金サイトは海外在住者には向いていなさそうなので、アメリカから募金できるサイトの中でどれがいいのか色々調べて結局Japan Societyから。

そして、日本人在住者の間で、募金集めの為何かしらセールをしようという話になっています。
自分たちでできることは小さなことですが、少しでも助けになれば。
海外から送れるのは今のところお金だけですよね...。
原発がものすごく心配ですが、どうにか最悪の事態は避けて回復に向かってほしいです。

どうしてもKatrinaの時と比べてしまうのですが、ちゃんと列にならんで待ったり、殴り合い奪い合いがなかったりするところ、日本人として誇りに思います。
少しでも多くの方が救出されるよう、早く国民の生活が元通りになるよう、祈っています。
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by hamakkoinmidwest | 2011-03-15 06:40

エミリー

私は仕事中や通勤時によくポッドキャストを聞きます。
気に入っているポッドキャストの中で、この間実験しながら聞いていたのがRadiolabの Lost and Found というエピソード。
そのエピソードの最後のストーリーに感動してしまい、実験しながら涙目になってしまいました。

オーディオはここで聴けます。

エミリーのホームページには、事故に遭う前のエミリーとアランの写真、事故直後のエミリーの写真なども載っていて、事故からどのように現在に至るかが記されています。

ストーリーをオーディオで聴きたい方はここからは読まないでください。ここに簡単に訳します。


**********


アランはアーティストを目指してアートスクールに通う21歳。同い年のエミリーもアランと同じアートスクールに行っていたが、しばらく休学してあるアーティストの元で働いていた。二人はブルックリンのアパートに一緒に住んでいた。

ある朝、エミリーは自転車で仕事に出る。アランも通常通り、学校に出かけた。

アランはエミリーの自転車のヘルメットを被せ、愛してるよと言い、エミリーが自転車で出て行くのを少し見守った。

6時間後、彫刻のクラスにいたアランに電話がかかってきた。

警察からだった。

エミリーが事故に遭ったという。大きな事故に。

アランが病院に駆けつけると、18車輪大型トラックにひかれたエミリーが横たわっていた。

エミリーの母、スーザンも、アランからの電話で事故のことを知り、夫と二人で病院まで飛んだ。

エミリーは全身血まみれ、何カ所も骨折しており、体重が2倍になるくらいに腫れ上がっていた。腫れがひどすぎて呼吸が困難だったため、エミリーは切開されて腸を体内から取り出してあった。

最初の2日間は何も起こらなかった。

2日目、ナースはスーザンに、エミリーはもう助からないだろうと言い、臓器提供したいかどうか聞いてきた。スーザンは臓器提供すると答えた。
スーザンはエミリーの耳元で、昔一緒に読んだ本から

“There is a land of the living and a land of the dead and the bridge is love, and the love is the only thing that survives.”

という所を思い出し、「愛してるからね、一生愛し続けるから。それはずっと変わらないから。」

と言うと、エミリーが左手を上げた。


皆パニックになって、ナースを呼び、医師を呼び....しかし、医療チームは「単なる反射的な動きかもしれない。本当に生きているかどうかは分からない」と言う。そして、しばらくエミリーが生きているのかどうか、判断することになった。

エミリーには元々聴覚障害があった。眼科医が診たところによると、多分見えてもいない。
補聴器を入れようとすると、エミリーは拒否反応を示す。

ICUで数週間過ごしたエミリーの状態は安定していた。死んではいないが、このまま回復の見込みのない状態だと施設に入れられてしまう。リハビリが出来る可能性はあるのか?

リハビリができるためには、患者が指示に応えられなければならない。エミリーは見えないし、聞こえないので指示に応えられない。

スーザンと夫は、アランに内緒で地元の障害者施設を探し始めた。
エミリーをアランから遠くへやってしまった方が、アランの為にもいいと思ったのだ。

そんな時、エミリーがしゃべり始めた。
「やめて」とか「触らないで」とか、「ダッシュウッドさん」とか。あまり意味が通じないことを言う。

アランはどうにかしてエミリーと意思の疎通ができるようにならないかと必死に考えた。

そして、ヘレンケラーのことを思い出した。

アランはエミリーの手を取り、 I L O V E Y O U と綴った。

エミリーは 「愛してるって?ありがとう」 と答えた。通じたのである。

医療チームにこれを照明するため、アランは質問とエミリーの答えを録音し始めた。

「名前は?」  −− 「エミリー」

「今年は何年?」 −− 「2010年」

しかし、エミリーはアランのことがまだ分からなかった。

エミリーは「暗いの。壁から引っぱり出して。ここから出して。」 と言う。

絶望感から、アランもスーザンも泣き出した。

スーザンは、アランに補聴器のことを聞いてみたら、と言った。
エミリーは補聴器を入れてもいい、と同意した。

「エミリー、アランだよ、分かる?」

アランの声で、エミリーの混乱した記憶が元に戻った。

---

エミリーは今、ニューヨークでも有名なリハビリ施設にいる。

「今日、初めて100フィート歩けたの」



私は、少ないながら、エミリーのホームページで寄付をしました。
この話のお礼として。
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by hamakkoinmidwest | 2011-02-02 10:54

スパルタ子育て/チャイニーズマザー

最近、ウォールストリートジャーナルにYale大学の教授、Amy Chuaの出版した本の内容に関する記事が載ったのですが、それをめぐって全米でものすごい議論が繰り広げられています。(こちらが英語版。探したら日本語版もありました。)

記事の内容を簡単にまとめると、作者は娘達が成績優秀(いつも一番じゃないと許さない)で、音楽でもずば抜けて優れていることを当然として要求するので、娘が「できない」とでも言おうものならできるまでご飯も食べさせずに練習させる、という子育て方法をとっているということ。

これに対して賛否両論が爆発し、この記事を知らない人はいないんじゃないかくらいの話題になりました。
アメリカの最近の子育ての仕方はゆるやかで、子供をいつも褒め讃え、競争をさせて負けたら自尊心を傷つけるからビリになっても賞を与える、みたいなのが主流になってきたそうなので、それに反する極端な例となるかららしいのです。
そういう抱きかかえ的な育て方がアメリカ人のself entitlementを助長するのでは、という意見には私も少し賛成。

先日のニューヨークタイムス紙には、批判的な記事が載りました。
この記事を書いたDavid Brooksの意見は、スパルタ教育をするあまり、子供達に社交性を育てる機会を失わせている(アカデミックな世界では社交性がなくても生きて行けるからAmy Chuaにはわからないんだとか、イタいことも)、ということですが、それに対するコメントなどを見てみると、彼に賛成する人もいれば、友達と遊ぶのは楽しいから社交性は簡単に身に付くけれど、勉強や練習は努力が必要なことで、それを軽視するような言い方は良くないとかいう意見もありました。

うーん、結局バランスですよね。

私自身は、全く何も強要されないで育ちました。
親は良い成績を取れば良かったねと言ってくれるけれど、テストで悪い点だった時には私が個人的に満足いかなかっただけで、親にもっとがんばりなさいとか言われたことはありません。
高校受験も、私が進んで塾に行きたいと言い出し、行きたい高校も自分で選びました(しかも私立...大してお金がある家庭でもないのに)。
勉強に協力はしてくれていたけれど、趣味も自分のやりたいことをしていたし、スイミングクラブは嫌いだったので辞めたし(これは大人になってから激しく後悔していますが)本当に自由に育ったものだと自分で思います(笑)。
スパルタな親だったら私はどうなっていたのか、想像もつきません...逆に反発してグレて(死語?)たりして。

やはり子供によるんじゃないでしょうか?
元々自分に厳しいタイプの人間は、言われなくても向上心を持ち続けられるものだと思うのですが、自分に甘いタイプの人間は、少し周りから押されないとだめだと思うのです。そして、自分からやればできるのに、やりなさいと言われたとたんにやる気をなくす人間もいると思います。
「こういう育て方が一番」というのはきっとないんですよね。子育てって本当に難しそうです(^ ^;
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by hamakkoinmidwest | 2011-01-22 07:17

私:Ph.D.をとるためアメリカに来て今はアカデミアとスタートアップの境に存在。夫:元コミットメントフォービックなアメリカ人医師兼研究者。アシスタントプロフェッサー。
by hamakkoinmidwest
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生命科学系PhDをとるため日本の大学卒業後アメリカに来て、当時MD/PhDコース中のPhDの方をやっていた彼と出会いました。彼のレジデンシーの間は国内で遠距離をしていましたが、フェローシップでこの都市に戻ってきたので、何年か一緒に住んでから結婚しました。体外受精の末恵まれた娘と3人暮らし。

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